2010年11月7日日曜日

今日はアルベール・カミュ

の誕生日。タクシーの窓から、車にはねられたであろう動物を見つけ、沈んだ気持ちが余計重くなる。何も話さずに、処方だけを変えてもらえるだろうか、出来ればそうしたかったが結局、ぼろぼろな話を聞いてもらう。希望通りの処方箋を書いて下さる。

生まれ年によって守護神を決める寺がある。それによると私のは薬師如来らしいんだけど、と言おうとするといや君は阿修羅でしょ、と遮られる。

かなしいときにかなしい歌をきくのはもうやめた。

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2010年11月5日金曜日

私の住む

小さな町は現在喪に服している。
意志に反して、死が身近にあった時、私は漠然と何かの代償を払わされているのだ、と感じていました。何か、というのははっきりとは分からないのですが、それに近づき過ぎた為に現在があるのだ、と考え、少しでも時間が出来ればその何かを表しているもの、何かに近いと感じて来たものを処分し続けました。書籍、ビデオテープ、雑貨などです。今にして思えば、そのように行動する事で、思考を停止させる、安全装置のような働きを求めていたのかもしれません。何か、という言い方は無責任ですが、強引に定義するなら、私の考える「世界」や「真理」といった言葉に近いものです。私が処分した世界や真理の写し絵は、不条理で、暴力的で、忌わしく、醜いものばかりでした。美しく、柔らかいものなどひとつもありませんでした。

世界は全くその通りです。処分をしながら私が立っていた、その場所さえその一部なのですから、滑稽な動きをしたものです。単に私自身が脆弱なだけなのかもしれません。しかし私には怒りがあり、それにのっとって行動を起こすだけの力は残っています。せめてもの幸いだと、考えることは間違いでしょうか。

2010年11月3日水曜日

それは

スポットライトではない、ってよく分かっていますよ。

やくざ者の

囲われ者になるがいい、と言われる。その前は高収入な医者に囲われればいい、だった。その前は、忘れた。どちらにせよ囲われる程の器量は持ち合わせてはおらんが。というわけでやくざで高収入で医者というブラックジャックの様な方を募集中。私、料理だけは自信あります。そしてこんなタイミングでロシアへ出かけた貴女、はやく帰ってきて下さい。