2012年12月1日土曜日

さむいので

じるさんだーのせんせーしょんをつけましたいっせいではすこしさむいきがしたのですびょういんでしんさつをまっているときとなりにすわっていたひとがそのくつはどこせいですかとたずねてきたのですこしかんがえてべるぎーせいですとこたえましたがもっとかんがえてみるときっとたぶんいたりあだったのですがおもいあたったころにはそのひとはういんくをしてかえったあとでしたそのときはいていたぱんつはちゅうごくせいですりょうりにつかうしおはひまらやさんがこのみですいおうがふくまれていますいおうはよみとむすびついています。

2012年11月24日土曜日

哀しいだけ

で何も考えられない。最近は運転手のいない車に乗ってずっと走っているような気がする。どこに行くか分からないし、止められない。でも、どうでもいいことだ。

2012年11月17日土曜日

このところ

本当にお別ればかりだ。暗喩ではなく、死に遭遇し、誠実さを問われる。楔としての負荷は緩衝材にもなりうることに気付いたつもりだがただ単に麻痺しているだけなのかもしれない。大事な場面では涙を流さない人間になりたい。私はまだ生きている。

2012年10月20日土曜日

宗教も神様も必要ないけれど

信仰心は最低限必要。命を敬うということ、全ての命を。

泥酔

しているよ。ジャパンブリッジは楽しかったなあ。今の人は「洒落乙」って言うんだね。ヒロティードッグ、飲んでみたいもんです。野菜い、いや優しいひとはいいね。あんまり時間が無いのかなあ。そんなつもりで動かないとね。いつでも。私は恵まれているよつくづく。ただ喪失感はどうしようもない。さよならだけが、って、今日壱日頭の中を回っていたなあ。爆発的に受け入れられる@日比谷もあり、恩返ししなきゃなあ、チョコレートでも、あと一回はマスターに泡納谷。愛情の下限いや加減ってもつかしいね、いや難しいね。とどのつまり、私は上手く愛せなかったんです。 良くなるいやよくある話。単にそれだけ。いや^-ガンツラムいやガントラムはうまいなあ、ひとりで飲んでも美味い酒ってそうそう無いぜさとう店長ありがとう。今日ね、Mm6が届いたんです最後くらいいいでしょう。もうね、激しい感情には対応出来ないんです歳のせいかエネルギーが無いんです。そういう事なんですかなせさん分かって下さい。小島信夫最後まで読めるかしら。いや若葉町には行かなければ。四谷にも。やるべきことはやるように。しかし、かなしいけれど、映画って本当にすばらしいもんですね、ビッグウェンズデイはいい映画だよ、歳とって観た方がいいんじゃないかね。りちゃれっり、使わないとな、ラグーでも作るか、でもね、皮肉なことに、随分良くなっているんです、感情の転移が無くなってきたの、それはとても実感しています、寂しさも伴わない、あるのはただ感謝と好意だけ、うん一本空けてしまうね、美しいことはいいことだ、最も美しいひとを私は知っているよ、凄まじく哀しいけれど、知ってるよ

2012年8月29日水曜日

deep house lover

から見ると、wireは「ズンズン教」との事。私も信者ですデトロイト支部の。会場が広すぎるとね。

2012年8月22日水曜日

部長について

短期で就業中の現職場、おしゃれとは縁遠い環境なうえ、制服があるので基本どーでもいい格好で通勤しています。ところが何かにつけ部長が「洒落た格好してんな!」の発言。??「洒落た時計してんな!」「洒落た靴履いてんな!」「こないだ金色の靴履いてたな!」等々。チェックしてるんですか?と聞くと「そういう訳じゃないぞ!」のお答え。しかし部長ご自身が小柄でふくよかな男性、両手でお菓子を持って食べている姿に思わず「熊みたいですね!」と言ってしまった私。褒め言葉です。先日も退社時の挨拶に行くと「洒落てんな!」とおっしゃるので「洒落てますか?」「おお、洒落てんぞ!」のやりとりに「部長もカワイイですよ」とかえすと「なっ何を言うんだ!おっ俺のどこが可愛いんだ!」とご動揺。発言に「!」が付くところとお菓子を食べる姿がカワイイです。

随分前のこと

書こう書こうと思って忘れていた事。みうらじゅんと清水ミチコのビッグショーってやつを見に出かけて、大変面白かったのですが、隣の男性が何も起こってないのに「おもしろーいガハハハ!」と笑うのが妙に気になりました。書こうとしたのはそんなことではなく、清水ミチコは散々観客を笑わせておいて、最後の最後に矢野顕子と清志郎の物真似で歌ったのです。あまりに素晴らしく、また、清志郎はもういないのだ、という事が強く思い起こされ、涙が出ました。清水ミチコは天才だと思う。

2012年8月21日火曜日

冷静さ

を心がけることは常に重要だ。自分自身でいることも。そういう人と過ごす時間は心地良いし、長所・短所という括りから離れてその人自身の個性が見えてくる。身体性はおろそかにするべきではないことを現職場で強く実感。ストレートさ、というのはとても大事なことだ。今日の感想→1・自意識を持つのも程々に。2・身勝手な愛情は愛情ではない。3・動物の生から学ぼう。私達は毎瞬間ごとに死んでいるのだから。

2012年8月4日土曜日

100パーセント牛

シーバイクロエのカードケースが大変お安くなっていたので買った時のやりとり。私「見せていただけますか」店員、ショーケースから取り出しながら「合皮です」?合皮?匂いを嗅いでみるが、革の匂い。タグを見ると「100%COW」の文字。私の様子を見ていた店員「100パーセント牛って書いてありますけど」私「革の匂いするよ?」店員「手触りが合皮っぽかったんでお客様にはそう説明してきたんですけど」なんつうアバウトな商品知識…。小さくmade in morocco の文字。私「モロッコ製って書いてあるから本革だと思うよ?」店員「そうですかねー」付属のタグを全部付けるよう頼んで購入すると説明書きに「私たちは大変デリケートな本革を使用しておりますのでメンテナンスは云々…」の表示。100パーセント牛って。

2012年7月31日火曜日

海獣の

子供完結。途中まで素晴らしかっただけに少々残念。予測を超えたものを見たかったな。五十嵐大介の漫画は読了後全て人様に進呈することにしている。良いものは流通するべきだと思うから。この5巻セットはその名も海くんに渡すことにしよう。

ケーキを買いに

FLOのショートは思い出があるから買いたくないし、高野の桃のショートは入院前日に食べたしなあ。歳をとるとケーキも買いにくくなるんかい。

2012年7月23日月曜日

一般的に使われる意味での「精神世界」と「精神医学」の境目を検証する試みを、誰かやってくれ。病を病としてではなく、肯定して生きている人達がいる。彼らは客観性を持ち、経済観念にも秀でている場合、医療分野においては「病状」と診断されるものをクライアントに「提供」することで報酬を得るっつう、そういう世界があるんですねー。メソッドとか鍛錬とか無しにね。ある意味アウトサイダーアートとも言えますね。しかしこういう場合、美術よりももっと直接的に貨幣のやりとりがある。客観性もないくらい爆発したら宗教になりますね。そこを知識のある人が記録していったら経済学、精神医療の分野においておもしろい観点が生まれるんじゃないかなーと、まあ思う訳です。私は中途半端にヴィジョネアーなんで無理です。

2012年6月7日木曜日

私たちは

本当に独りで死んでゆくの?あなたはどうしてそんなに辛い仕事を選択したの?あなたは幸せでしたか?斜視、邪眼、痙攣、冥婚。怒りと恐怖はよく似ている。私は私の愛する人には喜びと幸福を手にしてもらいたい。もう私より若い人には死んで欲しくない。「私達」ではないのだとしても。やりきれない時には手紙を書く。そしてそれは決して出せない。