2013年8月8日木曜日
涙のうちに種まくひとは
仕事が終わり怠けておりますが、ここのところ立て続けに死別が多く、乗りなれない飛行機に乗って行ったり来たりで疲れてしまいました。私は情緒面に少し欠陥があり、感情の波が大きすぎたり小さすぎたりと、自覚はしているつもりですが、数少ない、無条件に好きな人物とのお別れはとても悲しいものです。しかし、より深い悲しみを抱えている人の支えにならなくてはいけません。死というものは、常に正しい順番で訪れるものなのだと漠然と感じています。死別に限らず、喪失がもたらすものは驚くほど豊穣です。しかしそれは実りの無い荒野であり、自分自身とどう向き合うか、いかに狂気を手懐けるかという事なのです。しかしくたびれてしまったので、近くの町へ24時間の旅行に出かけたところ、軽い衝撃を受けて帰ってきました。久しぶりにチンザノを飲んで店を出た時、24:00少し前だったと思いますが、浅丘ルリ子のようなお化粧をしたかなり高齢の男性と出くわし、ホテルまでのタクシーをひろおうと大通りへ出ると、外国籍の娼婦の女性が数人で涼んでおり、向かいの店の窓には「カラオケ・キャバクラ・風俗全て無料!」との大きな張り紙がありました。無料な訳は絶対にありませんが、手書きの文字はたくましく、何故か心強く思いました。また、都内の繁華街の場合、玄人と素人にはある程度の棲み分けがあるように見えますが、その町では境界線が曖昧であるかのような印象を受け、一時間後にはつけ麺を食べてしまう程のバイタリティを取り戻していました。
生きていく上で一番大切なことは、タフさとユーモアであると常日頃から考えていますが、やはりそのようです。
2013年6月18日火曜日
さようならお肉たち。
すぐ再会しますけれど。今晩は鮭(養殖)でした。冷蔵庫ではしらすが眠っています。
この一年近く、全く本を読まず、ろくに眠らず、ろくなものを食べてこなかったな。何も出来なかった。大音量の電子音楽だけに頼りっきりでしたので、通勤時SoundCloudを利用したいが為に携帯電話を買い換えましたが、仕事が終わった今となっては全く音楽を聴いていません。洗濯機のまわる音を聴いています。今はそれで十分。
2013年4月12日金曜日
駅前の
アクセサリー屋になかなかさっぱりした可愛い女の子がおり、会話の成り立たなさを楽しんでいます。あるとき突然「ニゴウサンですか?」と話しかけられ、「二号さん?思い切ったことを言うなー」「ニゴウサンですエイプの」どうやら「NIGOさん」の事を言っているらしく、私のかけていた眼鏡を指さすのだがそのまま終了。別の日にファッションの傾向についての会話中、「モテ○○とか言われると死ね!って思うよね」と私が言うと「お前が持て!って思いますよね!」と返してくれましたが、こちらの質問「どの国で生産されたものか」「素材は何か」等にはきっちり調べてから返答をくれる大変性格の良い娘です。
2013年2月17日日曜日
2013年2月8日金曜日
くそー
俺のlovelessが!と叫んだところで、私のlovelessはそういえば系アイ(おい、敬愛も変換出来んのか)するドクトル・セッツのところにいったままであることを思い出し、うーむそれはそれでいいのだが、まあ、関係と制度の中での事だから、微妙な気持になる権利がある筈も無く、そんなことより、やっぱり新木場で(ライブハウスで)マイブラを観たかった、というのが正直なところである。TOKYOROCKSで観るか?という話である。SONICMANIAにローゼスが出るらしいが、それはちょっと先過ぎてよう分からん。このところ疲弊が度を越しているようで、身体のコントロールが効いておりませんでしたが、ドクトル・ガッツ、ガッツ先生こそ大変なのに本当にどうもありがとう。お母さんもおとちゃんも良くなるよう祈っているよ。
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