2013年8月8日木曜日

涙のうちに種まくひとは

仕事が終わり怠けておりますが、ここのところ立て続けに死別が多く、乗りなれない飛行機に乗って行ったり来たりで疲れてしまいました。私は情緒面に少し欠陥があり、感情の波が大きすぎたり小さすぎたりと、自覚はしているつもりですが、数少ない、無条件に好きな人物とのお別れはとても悲しいものです。しかし、より深い悲しみを抱えている人の支えにならなくてはいけません。死というものは、常に正しい順番で訪れるものなのだと漠然と感じています。死別に限らず、喪失がもたらすものは驚くほど豊穣です。しかしそれは実りの無い荒野であり、自分自身とどう向き合うか、いかに狂気を手懐けるかという事なのです。しかしくたびれてしまったので、近くの町へ24時間の旅行に出かけたところ、軽い衝撃を受けて帰ってきました。久しぶりにチンザノを飲んで店を出た時、24:00少し前だったと思いますが、浅丘ルリ子のようなお化粧をしたかなり高齢の男性と出くわし、ホテルまでのタクシーをひろおうと大通りへ出ると、外国籍の娼婦の女性が数人で涼んでおり、向かいの店の窓には「カラオケ・キャバクラ・風俗全て無料!」との大きな張り紙がありました。無料な訳は絶対にありませんが、手書きの文字はたくましく、何故か心強く思いました。また、都内の繁華街の場合、玄人と素人にはある程度の棲み分けがあるように見えますが、その町では境界線が曖昧であるかのような印象を受け、一時間後にはつけ麺を食べてしまう程のバイタリティを取り戻していました。 生きていく上で一番大切なことは、タフさとユーモアであると常日頃から考えていますが、やはりそのようです。

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